2011年06月
2011年06月15日
昔話ができる間柄。
1年前。
本当は親族の紹介程度の予定で会場を探していたんだけど。
予定や内容を考えていくうちにそれは式・披露宴へと変化していった。
変化するべくして変化したのだろね。
披露宴をするのであれば招待したい人がいる。招待したい仲間と。恩師と。
新婦側の親族は東北の人間が多かった。
迎え入れるのに肝心なのは「アクセス」だと思った。
そうこうしている最中、祖母が入院。
新婦側の親戚との兼ね合いで考えてもエリアが限られ、とある街に的を絞り、会場を探すことになった。
有名な神社の近くに立つ式場と。某結婚情報誌が運営するサービス施設の紹介で駅に近い式場と。
休みの度に隣県のとある街へ足を運ぶ。
2つの会場、共に見学をして話をして、見積もりをしてもらう。
思っていた以上の何かと、思っていた通りの金額。色々な要因が交錯した。
こちらの無理に近い要望、それに応えようとする意欲は確実に「駅に近い会場」だった。
無理難題を四角のままで投げつけてもちゃんと返ってくる返答。
色々なイメージと、様々な問題点を問いかけた。
仕事だからという事だけでは解決できない部分も多分にあった。
それでも、道筋を見つけてくれるプランナー。
何より熱意のある上司。
正直、こんな面倒くさい顧客は居なかっただろう。
正直最初はこちらとしてもお茶を濁して帰るつもりでもあったのだが。
いつのまにか熱くなっていたのは自分だと気づかされるまでに時間は要しなかった。
思いついた企画、netで見つけた面白企画も全て意見することにした。
もちろんお金はかかる。予算にも天井がある。
「ここはこういう風なのが出来ると嬉しいんだけど。」
「糖尿病の人がいるから料理を変えてもらって。」
「ドレスと和装も両方着たいよね。」
「ケーキはフルーツたっぷし!」
「音楽はこれとこれと・・・、あとコレ。」・・・etc.etc...
プランナーから返ってくる言葉は80%くらの確率で、
「大丈夫だとおもいまぁーす(にこっ)」
・・・大丈夫なのだろうか。
1つだけ誤算が生じた。
式5日前にして祖父が緊急入院。
--さかのぼる事2週間程前。頑張り屋の祖父の口から思ってもいない言葉を聞くことになった。
「オレぁ結婚式には行けないカモ知れないぞ。」
いつもと変わらない優しい口調であって、何とも弱気な言葉だった。
誰もが信じたくは無かったが、結局は体調を悪くし入院する事態にまでなってしまった。
先に入院生活を送っていた祖母も参加は困難だという。
そして祖父も正直外出できるような状態ではなかった。
何としてでもこの2人にも自分たちの結婚式を見てもらいたい。
打開策を色々考えた。インターネット電話を使おうとまで考えた。
最終的に式の前日に電機屋へ駈け込んでデジカムを購入。
友人に式の全貌を撮影して欲しいとお願いした。
企画にあった祖父を絡めたイベントもキャンセル。
参加できなくなってしまった祖父母の為にも、披露宴は是非とも成功させたかった。
結局の所、式・披露宴は大成功。
デジカム映像も「お前はプロか!はたまた神か!!」と思わせるような完璧っぷり。
スチールが趣味の友人も第2のカメラマンとして奔走してくれた。
急遽頼むことになった担当も全てこなしてくれたのだ。持つべきものは友であると実感した。
何より。
何かの縁とは言え、我々の式・披露宴を受け持つことになってしまったプランナーには感謝×2。
そんな1年前。
無事に結婚式を挙げることが出来たワケなのである。
そして本日。(結婚式約1年後)
そのプランナーとお世話になったスタッフに会いに「駅から近い式場」へ遊びに行った。
本当はもっと早い段階で会いに行く予定だった。
新婚旅行の感想も言いに行きたかったのだけど、なかなかそれは叶わなかった。
でも1年ぶりのプランナーもスタッフも元気そうだった。
1時間以上は話した。話題は大震災の事が主だったけど、1年ぶりとは思えない会話の成立。
楽しかった。
また遊びに行きます。
本当は親族の紹介程度の予定で会場を探していたんだけど。
予定や内容を考えていくうちにそれは式・披露宴へと変化していった。
変化するべくして変化したのだろね。
披露宴をするのであれば招待したい人がいる。招待したい仲間と。恩師と。
新婦側の親族は東北の人間が多かった。
迎え入れるのに肝心なのは「アクセス」だと思った。
そうこうしている最中、祖母が入院。
新婦側の親戚との兼ね合いで考えてもエリアが限られ、とある街に的を絞り、会場を探すことになった。
有名な神社の近くに立つ式場と。某結婚情報誌が運営するサービス施設の紹介で駅に近い式場と。
休みの度に隣県のとある街へ足を運ぶ。
2つの会場、共に見学をして話をして、見積もりをしてもらう。
思っていた以上の何かと、思っていた通りの金額。色々な要因が交錯した。
こちらの無理に近い要望、それに応えようとする意欲は確実に「駅に近い会場」だった。
無理難題を四角のままで投げつけてもちゃんと返ってくる返答。
色々なイメージと、様々な問題点を問いかけた。
仕事だからという事だけでは解決できない部分も多分にあった。
それでも、道筋を見つけてくれるプランナー。
何より熱意のある上司。
正直、こんな面倒くさい顧客は居なかっただろう。
正直最初はこちらとしてもお茶を濁して帰るつもりでもあったのだが。
いつのまにか熱くなっていたのは自分だと気づかされるまでに時間は要しなかった。
思いついた企画、netで見つけた面白企画も全て意見することにした。
もちろんお金はかかる。予算にも天井がある。
「ここはこういう風なのが出来ると嬉しいんだけど。」
「糖尿病の人がいるから料理を変えてもらって。」
「ドレスと和装も両方着たいよね。」
「ケーキはフルーツたっぷし!」
「音楽はこれとこれと・・・、あとコレ。」・・・etc.etc...
プランナーから返ってくる言葉は80%くらの確率で、
「大丈夫だとおもいまぁーす(にこっ)」
・・・大丈夫なのだろうか。
1つだけ誤算が生じた。
式5日前にして祖父が緊急入院。
--さかのぼる事2週間程前。頑張り屋の祖父の口から思ってもいない言葉を聞くことになった。
「オレぁ結婚式には行けないカモ知れないぞ。」
いつもと変わらない優しい口調であって、何とも弱気な言葉だった。
誰もが信じたくは無かったが、結局は体調を悪くし入院する事態にまでなってしまった。
先に入院生活を送っていた祖母も参加は困難だという。
そして祖父も正直外出できるような状態ではなかった。
何としてでもこの2人にも自分たちの結婚式を見てもらいたい。
打開策を色々考えた。インターネット電話を使おうとまで考えた。
最終的に式の前日に電機屋へ駈け込んでデジカムを購入。
友人に式の全貌を撮影して欲しいとお願いした。
企画にあった祖父を絡めたイベントもキャンセル。
参加できなくなってしまった祖父母の為にも、披露宴は是非とも成功させたかった。
結局の所、式・披露宴は大成功。
デジカム映像も「お前はプロか!はたまた神か!!」と思わせるような完璧っぷり。
スチールが趣味の友人も第2のカメラマンとして奔走してくれた。
急遽頼むことになった担当も全てこなしてくれたのだ。持つべきものは友であると実感した。
何より。
何かの縁とは言え、我々の式・披露宴を受け持つことになってしまったプランナーには感謝×2。
そんな1年前。
無事に結婚式を挙げることが出来たワケなのである。
そして本日。(結婚式約1年後)
そのプランナーとお世話になったスタッフに会いに「駅から近い式場」へ遊びに行った。
本当はもっと早い段階で会いに行く予定だった。
新婚旅行の感想も言いに行きたかったのだけど、なかなかそれは叶わなかった。
でも1年ぶりのプランナーもスタッフも元気そうだった。
1時間以上は話した。話題は大震災の事が主だったけど、1年ぶりとは思えない会話の成立。
楽しかった。
また遊びに行きます。